渡辺邦夫氏による事故後の概況報告 [印刷用] 【PDF 350KB】
1.プロローグ 2003年8月26日午後8時20分、新潟市の万代島に建設した朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)と佐渡汽船ターミナルをつなぐ連絡デッキ(屋根つき歩道橋)が、大音響とともに自然落下の崩落事故が発生した。 この連絡デッキは、歩行面がPCユニット版でそれが下弦材になり、屋根の鉄骨梁を上弦材とし、鉄骨の束材とハイテンションタイロッドを斜材にした「吊り型トラス」と命名したハイブリッド構造。全体を組み立てた後に斜材ロッドに初期緊張力を加え変形をコントロールしてからジャッキダウンするという施工法を前提にした構造である。
この地方は、写真4のように冬季は雪と強い北風が吹きまくる。だから、このデッキは通常のオープンな歩道橋ではなく、雪で歩行者が滑らないように屋根を付け、北側はガラスで塞いで北風を防ぐ計画に必然的になる。佐渡島に渡る人々のためのデッキで、旅行用の大きな鞄も携帯している。したがって、歩行面を下弦材、屋根面を上弦材にすれば、3mの高さのトラスになり最大スパン48mも軽快に架け渡すことができる。 僕は、事故が発生した直後に、この風景をすぐに想い出した。このデッキの工事が2001年11月から2002年3月の丁度、厳寒期とラップしていたからで、PC版のポストテンション導入前の目地モルタルの強度早期発現とグラウト材の凍結防止、上弦材鉄骨の現場溶接、この三つの施工は厳寒期にはむずかしいから、工事中に何か重大な欠陥が見落とされていたのではないか、と考えたからだ。 事故の発生には、直接的原因と間接的原因とがある。自然落下だから設計か施工のいずれか、あるいは両方に問題があり事故になったことは明らかであり、それは技術工学上の直接的原因といえる。そしてその直接的原因を生み出した背景、発注や設計監理、建設のシステムなどが間接的原因といえる。 僕は、事故直後から、設計や監理業務の変則的発注方式、工事発注に関する不自然さ、工事費、工期は適切であったか、などの間接的原因は事実を調査すれば、いずれ明解になることだから、自分が分析しなくてもいいだろう、むしろ、落下の直接的原因、技術工学的な意味で「何故、落ちたのか」を明確にすることが、構造設計者として自分の仕事だと考えた。 2.代表的な事故の現象 落下した姿はとても印象的というか、特徴のあるものであった。 その中で代表的なことは5点ある。まず、この連絡デッキは5スパンの連続構造だが、落ちたのは1スパンだけで、他の4スパンはほとんど損傷もなく残っていた。写真6と写真7のように、落下した両脇のV型PC柱だけでなく、その上の鉄骨柱もほぼ垂直のまま残っていた。 第二に、斜材ロッドをPC床版に固定していた定着部が、写真8のように半数は破壊しロッドは単にはずれて直線を維持しており、残りは写真9に見られるようにロッドの方が抜け出ていて定着部はそのまま残っている。 第三に、上弦材鉄骨が完全に崩落しているのは、朱鷺メッセ側の2本のH鋼だけ(写真10)で、他は、大きな損傷があるが一応まだ繋がっている。 そして、全体的に下弦材であるPC床版は朱鷺メッセ側に寄って落下しているが、上弦材の鉄骨は佐渡汽船側に引き込まれていて、鉄骨の柱と梁の接合部はどこも写真11のように曲げが発生して圧縮側になったフランジが接合部で座屈している。この傾向は共通のものだから、上弦材は朱鷺メッセから佐渡汽船に向けて、落下開始と同時に水平力が働いたことがわかる。 第五に、朱鷺メッセ側の上弦材鉄骨が崩落しているが、そこから出ているロッドの変形が、入江側と信濃川側では全く違うことが印象的であった。入江側ロッドは湾曲し強制変形を何らかの力で受けているが、信濃川側ロッドは直線状を保持しておりPC床版の定着部が先に崩壊したことが歴然としていた(写真5)。 その他にも観察できる事実があるが、最も、特徴的な現象はこのようなものであった。
また、僕は、この事故の目撃者が居れば、原因究明も簡単にできると考え、事故翌日、地元設計事務所の方々の協力で目撃者探しをした。事故発生時の直接的目撃者はその後の新潟県警の調査でも居ないことが判明したが、事故発生の1時間前にこのデッキの佐渡汽船側と朱鷺メッセ側に居た人の証言を得ることができた。 この方々の証言は記録されているが、「大きな音とともに地震のような揺れを感じ、慌てて逃げた」というものであった。 この証言は衝撃的であった。1時間前の事故の予兆を証明することができるのだろうか、僕は当日、絶望感を感じたのを憶えている。
3.SDGの事故原因究明結果「上弦材鉄骨破断説」 記者会見をお願いして、それを新潟県内報道機関35社に公表すると同時に、レポートを作成して新潟県にも提出した。2003年の10月のことだ。報道機関がそれを「上弦材鉄骨破断説」と名付けた。 このシミュレーションの特徴は、設計のシステム、設計内容、施工内容・過程・環境を一切無視して、崩壊した現象だけから原因を探し出す、僕たちが「崩壊設計」と名付けた手法によるものである。崩壊のプロセスと現象をすべて力学的に説明できれば、最初の崩壊起点を特定できる。 その詳細は「建築技術」誌2004年12月号に掲載した。
4.新潟県の事故調査究明結果「ロッド定着部破断説」 一方、県当局は事故直後に「事故原因調査委員会」を組織した。この委員会は土木の先生方5人を集めて、事務局が県の調査班となり原因調査を始めた。この委員会は合計10回の会議を行ったが、「ロッド定着部破断説」を調査当初から誘導していた。その論拠は3つあり、定着部の耐力設計にミスがあった、定着部の配筋が不十分、施工時ジャッキダウンが不適切で工事中に損傷を与えていた、だから定着部耐力は当初の設計耐力が保持できず、ここから崩壊が始まったのだ、というものである。しかも解析上の数値だけではこの3つの原因だけでは証明できないので、クリープ現象による破壊の促進があった、という定量的には誰も証明できない理由を結論として、2004年1月19日に委員会は解散してしまった。その詳細は新潟県ホームページに掲載されている。 この「ロッド定着部破断説」がいかに粗雑なものであるかを、「建築技術」誌2005年1月号に掲載した。 5.ロッド定着部の実物実験 僕は、この両「仮説」に決着をつけるべく昨年は多くのエネルギーを消費した。僕の言う鉄骨破断の傍証となったのが、鉄骨破断面の拡大写真(写真12)である。現場溶接部の滅茶苦茶なブローホールが観察できるのだから、実物を貸して欲しい、類似の試験片を作成すれば耐力上の欠陥もすぐにわかるだろう、と県当局に何度も要求しているのだが、保管倉庫にしまったまま出そうとしない。 それならば、ロッド定着部が本当に委員会の言うとおり耐力不足であったかどうかを先に調べようと考え、チャンスを待っていた。壊れたのは1スパンだけで、残りの4スパンはそのままになっており、しかも県知事が昨年の6月にはこれを全部解体撤去すると2月県議会で声明した。僕は、即座に、解体撤去するのであれば、それを有効に利用して原因解明に役立てるべきだ、という書簡を知事に送った。2週間後には、県の原因調査は既に完了した、今後、調べることは一切ないというレターが来たので、やむを得ず、調査は僕の費用と時間でやる、といわざるを得なくなり、一連の実験に踏み切ることにした。
最初が2004年6月10日に行ったもので、委員会はこの定着部耐力が3つのミスでせん断耐力が65トンしかないということを崩壊起点のベースにしているので、残存デッキをそのまま使い、ロッド定着部にジャッキを据えて、本当に65トンで壊れるのかをテーマにした現地試験(写真13)を行い、95トンまで張力を加えても定着部に異常が発生しないことを確認した。 この実験は、公開試験とし150名を超える衆目の中で行ったから、これで委員会の出鱈目さを証明したのだが、しかし、工学的には、試験の対象が2ヶ所だけだから、この結果をもって真実だということには無理がある。連続して他の20ヶ所も試験しようと考えていたのだが、県当局の強固な反対にあい、結局、実施できなかった。そこで、県がはじめた残存デッキの解体と並行して、現場から幅1m、長さ2mで定着部、28体を切り取って実験室に運び、そこに試験台をつくり複合荷重をかけ、現地の状況を再現しながら耐力試験をした。 試験は第三者性と客観性が重要だから、試験そのものは(財)建材試験センターと日大の安達・中西研究室にお願いして実施、公開試験とした。結果的には120トンから150トン以上の耐力が確認されて、委員会の「ロッド定着部破断説」を全面的に崩すことができた。昨年の8月のことだ。事故発生以来、ここまでに1年間を必要とした。試験結果は「建築技術」誌2004年8月号と10月号に掲載。 6.損害賠償訴訟の強引な開始 しかし、役所は面白いというか常識を逸脱して頑固なもので、既に、事故直後につくりあげた日程に沿って走るしかなく、軌道修正できないシステムになっている。報告書は正しいという建前を崩せないので、僕の行った実験結果は一切無視して、報告書にもとづいてロッド定着部の設計と施工にミスがあった、だから県の損害額9億円を賠償せよ、という訴訟を新潟地方裁判所に昨年9月7日に提訴。 原告は新潟県知事、被告は、新潟県建築設計協同組合(設計監理の県との契約者)・福地建築設計事務所(地元事務所で協同組合の設計監理下請け)・槇総合計画事務所(福地事務所の意匠設計協力者)・構造設計集団<SDG>(福地事務所の構造設計協力者)・第一建設工業(県と工事契約した施工会社)・黒沢建設(第一建設の下請けでPC床版の製作会社)の6社。 この訴訟の仕組みには二つの疑問がある。一つは、写真12の溶接欠陥の存在を県も知っていながら鉄骨工事会社(大川トランスティル)を被告に加えていない。県は政治的な理由で最初から鉄骨問題を除外していた、あるいは除外したい何かの意志があったこと。もう一つは、この訴訟は「共同不法行為」という民法をベースにした裁判で、「共同不法行為」は6社の誰がどれだけという特定した責任を問うのではなく、6社のうち誰でもいいから賠償せよ、という訴訟。言いかえれば、原因調査は未完であることを自ら証明している。 昨年の11月26日に第一回裁判、今年の2月8日に第二回、4月8日に第三回口頭弁論が開かれることが決定している。 7.エピローグ 僕は、地方行政庁の権力と資金を背景にした脅威、それに従属する学者群、真実を探求する意志のない報道陣、事故以前には漠然と考えていたことが、目前にはっきりしてきたことに多くの教訓を得た。しかし、依然として「何故、落ちたのか」を解き明かしていない。裁判の決着ではなく、「何故、落ちたのか」の解を見出し実証できたとき、再度、レポートを作成する。 8.経緯概略