2005年1月18日
株式会社 構造ソフト
代表取締役 星 睦廣
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1.はじめに
朱鷺(トキ)メッセ連絡橋(※)の落下事故がおきて一年半が経過した。
時の経過は様々なことを教えてくれる。ここでは落下事故に関して重要な部分となるであろう二つのことについて触れてみたい。
一つは「鉄骨梁の現場溶接において欠陥が生じた」ことである。
そしてもう一つは「ジャッキダウン時(支保工解体時)に大変形が生じた」ことについてである。
この事故は技術工学的な問題として捉えられているが、それとは異なる「工事監理」や「現場管理」に問題がなかったかという視点で捉えてみた。
※ 朱鷺メッセ連絡橋: |
パブリックな呼称は、朱鷺メッセ連絡デッキですが、一般の方にもイメージしやすいように朱鷺メッセ連絡橋と記載しています。 |
2.裁判の行方は?
新潟県は、損害賠償請求訴訟を設計・施工関係者6社に対して起こした。
原告である新潟県は200ページに渡る訴状と資料を提出し、被告がその反論となる答弁書を出しこの裁判は始まったところである。これから真相が究明され、判決がくだるまでに幾年を要する裁判となるのであろうか?
真相の究明は理想ではあるが、そこにたどり着けない難しさを感じる。その理由は鉄骨溶接部の欠陥や、ジャッキダウン時の大変形から生じた部材損傷により部材の耐力低下が起こっており、その低下がどのくらいなのかを実験により検証するだけでも大変だからだ。さらに低下したであろう部材耐力のバラツキを考慮した多くの解析ケースから、誰もが納得する解をピックアップすることなど、数年を要したとしてもまとまるのだろうかと疑問に思うのである。
一方、裁判には和解による早期決着の仕方もある。
しかしこの場合は真相がわからないまま幕を引く事になってしまう。
いずれにしても遠い日の判決や曖昧な和解を待つよりは、この事故を通して今知り得るところから問題点を明らかにし、構造技術者の目指すべき方向性や工事のあるべき姿を考えることが有意義であるとのことで、私なりにわかり易く整理してみました。
3.鉄骨溶接部の欠陥
構造物が地震も無く暴風時でも無い時に落下することはありえない。もし万一そのようなことが起こった場合には、構造設計のミスと言うよりは、重大な欠陥が存在したと推測する方が理解し易い。
この連絡橋の最上部に位置する梁(上弦材)は鉄骨で現場溶接されるが(図1参照)、この梁溶接部に欠陥があったことについては、新潟県の事故調査報告書にも明示されていて、「溶接部で破断。・・・破断面の3分の1程度に溶接欠陥(ブローホールなど)が認められた。」とある。
また構造設計者は、鉄骨の溶接部に欠陥があったため、そこが起点となって連絡橋が崩落したと主張している。(これとは異なる新潟県の見解は※1参照)
私はこの溶接欠陥が何故生じたのか気になっていたところ、2004年12月2日に「鉄骨溶接部受入検査報告書」が手元に届いた。欠陥が生じたであろう鉄骨溶接部分の作業日報には「気温2度、湿度73%、風速2m」と記載されてあった。便利なもので現在は数年前の気象状況が気象庁のホームページで調べられるのである。そこで問題の溶接が行われた2001年2月26日の新潟市の気象状況を早速調べてみた。すると、風速は2m/sどころでは無くかなり強いのである。午前8時から午後4時までの風速は、6m/sから9m/sという強い風であった。おかしいと思って前日(25日)も調べると、終日5m/s以上あり最大時は11m/sの強風の日であったことがわかった。しかし、25日の作業日報についても同じく「風速2m」と誤った報告が示されてあった。
朱鷺メッセは、信濃川や入江により三方が大きな川にかこまれており、海にも近いため、気象庁の新潟市データより強風が吹く環境にある。特に落下した連絡橋と直交する方向は、真下に道路が走っており風の通り道でもある。さらにこの鉄骨溶接部は連絡橋の最上部にあたり地上9mくらいに位置する。それゆえ防風囲いもままにならない条件下での溶接作業であった。
何ゆえ風速を改ざんしてまで悪条件下での溶接作業を強行しなければならなかったかは後述するとして、この条件下における現場溶接作業は欠陥を引き起こす要因になっていたと言えるかも知れない。
これにより耐力低下がどの程度あったのかの検証が待たれるが、落下した鉄骨部分は新潟県が保管していて、現在のところ実験室試験を行うまでに至っていない。
(※1:新潟県の事故調査報告書によると、落下の起点となったのは斜材ロッド定着部の耐力不足によるものとの見解を示している。しかしこの後、構造設計者は新潟から現物を持ち込んでの実験室試験を行い、耐力不足は生じていないことを検証しているので、詳細はその報告書等を見て頂くとして、ここでは「斜材ロッド定着部の耐力不足」説には言及していない。)
4.ジャッキダウン時になぜ大変形したのか?
連絡橋の施工完了後にジャッキダウン(支保工解体)しても、通常建て方手順を考慮して断面検討しているため、大変形することはありえない。
ありえないことが何故起こったのか?
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図1 |
この連絡橋は、図1のように5スパン(全長約200m)で構成され、連絡橋の両端部は佐渡汽船側と朱鷺メッセ側の建物へ繋ぎ止められるものである。
構造設計者がこの連絡橋を「吊り型トラス構造」と呼んでいるのは、柱と梁は鉄骨造で構成されているが、スラブはコンクリートのPC床板で現場にてテンション(PC鋼より線に初期緊張力)を入れ、さらに斜材ロッドにも現場にてテンションを入れることで、連絡橋に上向きの変形が生じることから名付けられている。この上向きの変形が下向きの荷重による変形と相まってスラブが水平を保つ事になる。
これにより1スパンで48mという大スパンを可能にしたもので、連絡橋は現場で見るとスレンダーであり写真で見るより数倍美しく、構造が生み出した「デザインと経済性が合致した傑作の連絡橋」となるはずだった。
ところが、ジャッキダウン時には想定していない大きなたわみが生じてしまうのである。その理由はというと二点あり、一般の構造技術者にとっては信じがたいことがここで起こるのである。
まず第一点は、「吊り型トラス構造」を形成して上向きの変位を生じさせるためには、斜材ロッドにテンションを入れないといけないが、なんと斜材ロッドにテンションを入れないでジャッキダウンをしてしまったのである。
なぜ、このようなミスが発生してしまったかについては、その要因を説明する必要がある。この連絡橋は、5スパンで完結する吊り型トラス構造であるが、急遽この年度では4スパンまでの工事で終わりとし、残りの1スパンは一年後の完成を目指した次期の工事となる大幅な設計変更が構造設計者へ伝わって来たのである。(図1最右端スパン部分参照)
このことは何を意味するかと言うと、朱鷺メッセ側に繋ぎ止められる1スパン部分が無くなり、連絡橋の一端部が建物に拘束されないフリーの状態に変わったことになる。この端部フリーの条件でこの連絡橋が水平を保つ解は存在するのかと言う難問に構造設計者はぶちあたるのである。
これについては次の図2のような簡単なモデルにて説明する。
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図2 |
荷重の大きさと部材断面が同じとするなら(イ)の構造よりは(ロ)の構造の方が落下したスパン部分の変形は増大する。これはR27の条件が(イ)では梁の回転がほぼ拘束されているのに対して、(ロ)では回転フリーの条件となっているために右端部が跳ね上がり落下したスパンの変形が増大することになる。そこで変形を増大させないためには梁の回転を拘束する必要があり、構造設計者は(ハ)のようにR26(R27の左側で詳細は図1参照)の位置に追加支柱を立てることを提案した。これは橋の全長が完成するまでの仮の追加支柱である。
このような設計変更が伴う状況下において、前述した斜材ロッドにテンションを入れないミスが起こり、続けて次の二点目のミスが起こるのである。
すなわち構造設計者が追加支柱を立てる提案をしたにも関わらず、追加支柱を立てないでジャッキダウンをしてしまうのである。
この二つのミスが重なったということは、ジャッキダウン時の大変形は起こるべくして起こったと言うことになる。
ここまで読むと誰もが工事監理者や施工者、そして構造設計者は何をしていたのか? と疑問に思うに違いない。
5.構造設計者不在の監理体制と施工者の責任
地元業者の技術力や経済的地位向上を目的に新潟県建築設計協同組合が設立された。そして新潟県は特別な事情を除きこの協同組合に設計業務を委託することを県議会で採択した。この慣行のもと朱鷺メッセ連絡橋は新潟県建築設計協同組合に発注された。
また、県は分離発注を基本としているため、次のような発注となった。
発注者: |
新潟県知事(担当部署 新潟県港湾空港局) |
設計: |
新潟県建築設計協同組合(地元の建築設計事務所) |
施工: |
地元の建設会社 ――― |
協力会社(PC床板担当建設会社) |
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〃 (鉄骨工事担当会社)
〃 (斜材ロッド担当建材会社) |
監理: |
新潟県建築設計協同組合(地元の建築設計事務所) |
設計・施工・監理ともポストテンション工法に経験のない地元業者であったが、地元業者の技術力向上のための発注でもあった。
構造設計者は新潟県とは契約関係になく、地元建築設計事務所から景観担当事務所を経た孫請け的立場である。
話を二つのミスを起こしたジャッキダウン時に戻す。
第一回目のジャッキダウンは2001年3月4日で、年度末の納期が近づいたときであった。この日にジャッキダウンをすることは、構造設計者には伝わっていないため構造設計者不在のままジャッキダウンが行われたことになる。
5スパンから4スパンへ設計変更があったときに、構造設計者はR26の位置に追加支柱を立てることを提案したことは前に述べた。その後の経緯は次のようである。
仮設の追加支柱を次期工事の残り1スパンの完成まで立てておくと約800万円がかかることがわかった。県としてはそのコスト負担は出来ないとのことで、何とかするように設計及び施工会社へ対処を求めた。
施工会社は構造設計者に仮設の追加支柱が無くても別な方法で可能な道を検討してほしいと打診する。
構造設計者は斜材ロッドのテンション(初期緊張力)を調整する事で、追加支柱がなくてもジャッキダウンが可能かどうかシミュレーションで検討するがうまく行かない。
そうこうしているときに現場では、構造設計者の回答を待たずに「追加支柱がなくてもジャッキダウンをしてよい」とのことで動き出してしまうのである。
そして支保工解体。少しずつジャッキダウンを始めるが、予定の変形量でも連絡橋は止まることなく変形が増大していく。そして図2(ロ)に示したR27から右側の床が跳ね上がり、R27の左側にこの床がずり落ちるかのようになった。
連絡橋の下にはジャッキダウンを操作する作業員もいたため、危険な状態を察知してのジャッキダウン停止となった。この時点でスラブに亀裂が生じておりジャッキダウンにミスがあったと気づくことになる。
ジャッキダウン時には『ジャッキダウン施工要領書』が作成されてそれに従って工事が行われる。しかしここでは「施工要領書」の作成をしていなかったのである。この特種構造物で施工要領書が無いことはありえず、現場で何が起こっていたのだろうか?
もし経験不足により不明な点があるなら構造設計者とのコミュニケーションを充分はかる必要があったし、この連絡橋は現場でテンションを入れるなど応力の調整を伴う工法であるため、構造設計者の立会いは不可欠であったと思われる。ところがジャッキダウン時に構造設計者を立ち合わせることも無く施工要領書も無い事から、計画的・組織的な動きになっていないようにも見える。
このことをもって短絡的に経験不足・技術不足と決め付けるのは避けたい。と言うのは少なくとも地元では信頼の厚い会社であり、協力会社の技術的なバックアップもあったことから工学的なことは認識できていたと考える方が自然だからだ。とするなら何ゆえ施工計画書が出来ないうちにジャッキダウンをするようなあわて方をしたのか? また、「斜材ロッドにテンションを入れないでよい」、「追加支柱を設けなくてよい」との指示を、現場で誰がどのような考えのもとに発したのか、この点は不可解であり明らかにする必要があろう。
6.発注者の責任
通常なら発注者には何らの責任も発生しない。施主としてお金を出す立場であり設計や工事に問題が起こった場合、それは建築関係者の責任範疇だからだ。
しかし、本件の場合は少し違うのではないだろうか?
この連絡橋は、建築基準法第18条の「計画を建築主事に通知する」のみで手続きが済む、いわゆる「計画通知」と言う県の建築物である。よって確認申請時の図書の審査も不要な物件となる。この審査が無いかわりにこの物件は設計・施工時において常に県の監理下にあり、県は技術的なことでも指揮・命令が出来る立場にある点で、単なる発注者と異なると言える。
これにより県の担当者の一言は建築基準法に言う「建築主事等」の一言に値し、絶対的な命令として現場に響き渡ることになる。
県の担当者は自身の責務として、この工事は3月末に竣工することが至上命令であり絶対条件であると考えている。それゆえ竣工時期が満足出来そうにないと思ったのか、設計図の完成前に施工の発注を先行している。通常なら設計図の完成後にその仕様に基づく見積書を取りその後発注となる手順であるから、見積もりが出来ない状態で工事の発注はありえないわけである。この工事先行発注の問題は次のところで現れることになる。設計変更に伴って追加支柱が必須の状況になっても、追加支柱の予算が取れないのである。「予算が無いのだから何とかしろ!」という問題ではなく、設計変更に伴う再見積や法で定めた手続きがあり、正しい手順で進めていれば設計上重要な支柱の予算がとれないとのことは起こらない問題であった。
構造設計者を慌てさせる5スパンの工事が4スパンとなる大幅な設計変更が伝わってきて構造設計者は追加シミュレーションを行うが、現場においては手元にある図面が最終形のものと認識して施工を続けるわけである。工期が厳しい状況下においては、コミュニケーションだけでは限界があり、認識違いが起こる可能性は高くなり、設計行為と施工が同時に進行する発注タイミングは、やってはいけない危険な段取りであったと言える。
もし、適切な時期における発注と適切な工期のもとで契約が計画されたのなら、このような落下事故が発生しなかったという意味において、県側の責任というものが少なくないのではないだろうか?
7.工期厳守の至上命令そして落下
設計変更に伴って膨大な再計算をする事になる構造設計者、せまりくる納期と戦う施工者、難しくなったこの方程式に解は存在するのだろうか?
施工者も工事監理者も解を見出せずに焦ったことであろう。しかしながら「工期厳守の至上命令」は容赦なく下る。
県による工期厳守の一言は、現場においては至上命令として重く伸し掛かり、竣工時期が迫ってくると強風時でも溶接の強行に及ぶことになってしまったのか? 追加支柱の提案も予算が無ければどうすることも出来ず、先に進まなければいけなかったということか?
しかし、こんな事は信じられないのである。一般に技術者は真面目であり、善悪の判断は融通が利かないくらいはっきりしているからだ。
もし、県の担当者が技術工学的なことをよくわからないまま工期厳守を強調するあまり、現場においては「早くやりなさい」と命令として聞こえたということは無かったのであろうか? 現場は県の命令に対しては従順である。その命令は技術をも飛び越えて存在し、それは「法」であり、正義であり、それに逆らう事があっては地元では生きていけないという次元のものだからだ。
本来、発注者として県は安全を犠牲にする計画や言動があってはならず、また同時にそれを許容してしまう現場管理や工事監理であってはならないはずで、決して越えてはいけない一線がここにはあったはずである。
しかし実態からするとこの一線を越えてしまったことは確かだ。
誰がどのような指示や判断のもとで越えたのかは、明確にする必要があろう。
ジャッキダウン時のミスの後、結局はR26の位置に追加支柱を設け、損傷した部材を修復して17日間の工期遅延で(1スパンを残して)竣工することになる。
ここで県は17日間の工期遅延に対して「工期厳守」の至上命令を守れなかった罰として、遅延賠償金約600万円を地元施工業者に支払わせるのである。
そしてジャッキダウン時を起点として、20ヶ月後に残りの1スパンが竣工し連絡橋の全長が完成する。そしてその10ヵ月後に...、
無理な工期のもとで設計・施工した連絡橋の真の姿は、自然崩落する形で現れるのであった。
8.構造設計者の責任
構造技術者は安全と経済性を追及してその対価として報酬を得ている。
それゆえ安全を脅かすことがあるなら、たとえ孫受けであろうが構造設計者は安全を守るための責務というものを果たさなければならない。
連絡橋のような特種な構造であるなら、施工手順(ジャッキダウン)を考慮した応力検討の上で、施工手順の重要性を現場管理者や施工者に周知する必要はあった。また、誤解の無いように図面の特記事項として記述することも必要だったかもしれない。
しかし、追加支柱等のシミュレーション中に現場のジャッキダウンが始まったことからして、施工手順資料やその周知は間に合わなかったということになるのか?
この工事において構造設計者は工事監理業務を請け負っていないため、構造設計者としての意見は述べているが、最終的に決定する場に居ることが出来なかった。それゆえジャッキダウン日を決めるときには蚊帳の外にあるだけでなく、ジャッキダウンの日すらも知らない状況下にあったことは事実のようだ。
連絡橋が崩落したということは、倫理的には構造設計者に厳しい責任が付いて回るが、しかし工事監理業務を請け負っているときとそうでないときとでは、おのずとその責任範囲には限界があろうと思う。特に監理業務を請け負っていないときの構造設計者の責任範囲は何処までなのかは、契約書に明記しておく必要があろうが、実際どのような言葉になるのであろうか?
本件において構造設計者は下請けの立場であり、当然設計料はそれなりに少なくなる。またジャッキダウンの日も知らない片隅に追いやられている。しかしこの連絡橋は全体が構造体そのもので、本来なら構造設計者は主役の立場で現場にて采配していてもおかしくない物件であったはずだが..。
しかし構造技術者が主役になるときとは、いつも問題が起きたときで、今回の場合は、被告として矢面(やおもて)に立たされているという笑えない実態がある。
強いものが勝ち弱いものが負けるのが世の常なら、弱者である構造設計者は裁判においても弱者のままで、少なくない損害賠償額の支払いを命ぜられて終結を迎えることになるのであろうか?
9.終わりに
構造設計者の責任や役割については、さらに皆様の意見を組み入れながらまとめていければと考えます。
「朱鷺メッセ 落下事故」とインターネットで検索するだけで、落下事故に関する数多くの記事に行き着きます。しかし全体を包括してわかり易く簡潔に捉え、問題点を浮き彫りにした記述がないため、この事故を知る入門編的な位置付けで書きました。
これを機会に様々な報告を読んでほしいのですが、読むほどに悩むかもしれません。整理がつかないどころか奥の深さを感じることと思います。
この落下事故の真相は遠い先にあり、裁判により何千ページに渡る関係者の資料や証言の上に見出されるものでありましょう。しかしながら、冒頭で述べましたように真相がわかるまで長い間静観することは出来ず、私が知り得る範囲で本文をまとめ発表しました。よって誤りがありましたら訂正させて頂きます。
構造技術者の方はこの文面を読んでどのように感じたでしょうか?
少なくとも「構造技術」の重要性や「構造技術者」の役割が、この建築業界の中でも確立していないように思えたとしても不思議はありません。 まして「構造技術者」が社会的に認知されることは、夢のまた夢となるのでしょうか?
願わくば本件のようなことが2度と起こらないために、そして若者が構造技術者になりたいと思う夢のある職業へするために、これを契機に何らかの言動を起こしてくれる人が出るなら、本文を書いた甲斐があり幸甚の喜びです。
このまま終わってしまうと貴重なご意見が埋もれてしまいますので、本文をもとに意見交換ができる場をつくりたいと考えています。(※2)
以上をもちまして、「朱鷺メッセ連絡橋落下事故/その実態から私が見たもの」を終わります。
長文にも関わらず最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。